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開発者:鈴木 勇
理念

経歴

  • 3歳交通事故で鎖骨を折る。これにより左の鎖骨が短い。
  • 6歳野球のボールが腹部に当たり後方に転倒。
    その後脊柱に石が当たる。一ヶ月後に大手術をして一命を取り留める。
  • 14歳柔道整復師になると将来を決める。
  • 18歳柔道で右膝前十字靭帯断裂、半月板損傷。
  • 20歳右十字靭帯断裂と半月板一部切除の手術により人工靭帯となる。
  • 22歳柔道整復師の免許取得。頭痛、めまい、腹痛、腰痛、ぜんそくなどの症状があり、医療機関で受診するが電気、マッサージ・投薬といった対症療法に疑問を持つ。整体・カイロ等を学び自分の体をX線分析するうちに上記症状が子供の頃からのケガに関連していることに気付く。
その後、研究を重ね、鈴木トリートメントと名称をつけ、独自のアジャスターを作成する。
後に最高の名医である菅原先生に出会い、研究され学会でも発表される。
現状、国内特許取得済。世界特許申請中。全国でセミナーを開催中。

カンボジアでの活動



大泉さくら整骨院

鈴木トリートメント・メソッドの開発者 鈴木 勇が運営する整骨院です。
住所 東京都練馬区東大泉3-4-4 柏屋ビル
最寄駅 西武池袋線 大泉学園駅 徒歩2分
診療時間 月~金 午前9:30~12:30 / 午後3:00~20:00
土曜日 午前9:30~12:30 午前のみ
休診日 木・日・祝日
大泉さくら整骨院

来歴

中2で将来を決めた。

私は3歳の時に交通事故に遭い、車に跳ね飛ばされ、左鎖骨骨折をしました。現在でも左鎖骨は少し右と比べると短いです。

6歳で砂場で遊んでいたら、野球をしている人がいて、その野球のボールが私の右腹部にあたり、そのまま後ろに倒れてしまいました。後ろには石があり、背中を打ってしまいました。小1だったせいもあり、それでも毎日風呂に入り、普通に生活していた。
一ヶ月後夜中に背部に激痛が起こり、病院に行き即切開、すると今度は腹部激痛。翌日腹部も手術。命を落とすかもという大手術になってしまいました。

中2で柔道整復師になると将来を決める。

将来を考え、高2で柔道部に入部、高3で柔道の試合中に右前十字靭帯完全断裂、右膝内側半月板損傷となる。それでも自転車のチューブを右膝にまき、柔道をやっていた。
ところが20歳の時に柔道をやっていて突然膝が曲がったまま動けなくなり、右膝手術をし、右膝前十字人工靭帯となる。

アルバイトで気づいた不信。

高校を卒業し柔道整復の専門学校を受験するが、筆記試験は合格し、面接で補欠合格となる。面接の時にその当時の太いズボンのままだったのが原因だと考えられる。つまり専門学校浪人となる。
だが整骨院の先生は諦めない。自分の生きる道はこれしかない。
そこで知っている整骨院でバイトとして働くことになる。

18歳で整骨院で働いていたところ二つの疑問を持つことになる。

一つは足関節捻挫はクセになるという説明に疑問を持つ。他の関節捻挫はそのような説明はない。

もう一つはギックリ腰で来院された患者様が「またやっちゃった」と言って入ってきた。かなり辛そうで、前にかがんだままの状態で来院された。
電気療法やマッサージなどをやり、一ヶ月の通院後、その患者さんは「痛みはすっかり取れたが、ギックリ腰を何度もやっているので予防のためにもう1週間毎日通院させてください」と言った。もちろん院長も了承した。
最後の日「完璧に治った」と言って笑顔で帰った。こちらもいい気分になったと同時に、やはりいい仕事だと何もやっていないのにやたら満足した気分になった。整骨院の仕事やる気倍増だ。

しかしだ、その患者さんはさらに一ヶ月後、「またやっちゃった」とギックリ腰で前かがみで再度来院された。しかもだ、抑えている手は一ヶ月前と同じ場所を抑えて入ってきたのだ。

あの時の一ヶ月の治療は何だったのか?痛みが取れてからの最後の予防の一週間はなんだったのか。
あれだけ筋肉に電気をかけて、マッサージして筋肉も柔らかくなったと院長も言っていたのに何だったんだろう?

驚いたと同時に「これって本当に治しているのか」と疑うようになった。

私は「中2の時に自分の人生をかけようと思った仕事なのに、こんなんでいいの?」と自分に問いかけ、「自分が患者さんだったら」と考えるようになった。
「本当の原因は筋肉でなく骨のズレに関係あるのでは?」と考え始め、どうしても納得いかないので整骨院を辞めることにした。

カイロプラクティックとの出会い。

その時にちょうど車の教習所に通っていた。そこで出会った保険のおばさんと仲良くなっていた。
その方と話しているときに「鈴木さん整骨院のお仕事頑張ってね」と言われ「いや、辞めたんですよ」と言うと、もの凄い驚かれた。それだけ自分も熱心に自分の将来を語っていたのだ。そして辞めた理由の足関節捻挫の事とギックリ腰の話をした。
すると「骨を治すならカイロプラクティックね」と言われた。私はこの時に初めてカイロプラクティックという名前を聞いた。
すぐに「それって何?」と尋ね、「その治療法をやっているところは何処?」と聞いた。名前は忘れたが栃木県黒磯にあると言われた。すぐに他の日払いのバイトを探した。金を手にすると栃木県黒磯に飛んだ。
行ってみるとそこの院長先生が脳卒中の後遺症で片麻痺だった。むしろ来院されている患者様より具合が悪そうだった。そこでの治療法は骨のズレているところを触診で見つけ、そこに木の棒をあて、木槌で打つというものだった。
「えっ?」 これが自分の求めている治療法なんだと思った。
それから何度そこに通ったか。患者さんに話しかけたり、自分で治療を受けたりもした。

そうして年末になった頃母親にちょっと聞いてみた。
「治るなら高いお金でもいい?」
うちは貧乏だったので母でも通いたいと思うならみんなそうするだろうと思ったからだ。すると、「治るなら高くてもいいでしょ」と答えてくれた。
自分も納得はしたが、当時まだ18歳だし、本当にカイロプラクティックという世界がきちんとしているかなんてわからないという不安があったのも事実だ。
その時まだ12月だったのでまだ間に合うと思い、もう一度同じ専門学校を受けようと決め、再度勉強を始めた。翌年受験し、めでたく合格となった。
実はこの年から柔道整復科は3年制になったのだ。今までは2年制だったので増えた分やはり学費がかかるので損した気分だった。
ところが人生うまくできてるよね。柔道整復科のクラスはひとクラスでその中にアメリカのカイロプラクティック大学を卒業された方がいたんですよ。その方はアメリカの免許は取得したが日本の開業免許はまだ取得していないということで、この専門学校に入学されたらしい。私にしてみれば、骨のズレを治したいと思っているわけだから、いい感じなわけだ。
で、その方に近づき、「人を集めるからカイロプラクティックの勉強会をやりましょう」と持ちかけた。

勉強会での発見。

クラスメイトに話すと私を入れて7人が集まった。月に4回しか日曜日はないが、そのうちの2回をカイロの先生の治療院で勉強会をやることになった。
ちなみに外国のカイロプラクティックの大学を卒業し、免許を取得した先生をカイロプラクティックドクターということでDCという。当時日本にはDCと言われる先生は60人ぐらいしかいなかった。
しかし、その勉強会でも私は二つの疑問にぶつかるのだ。

一つは7人のうち1人を立たせ、後ろからその人の耳がどちらが高く見えるかという検査をする時のことだ。残りの6人が見て「右が高いと思った人は右に、左が高いと思った人は左に移動しなさい」と言われた。
結果を見てビックリ。右に3人、左に3人。そこで先生が見て「これは右」という。右の3人が喜び左の3人はがっかりする。私はいつも先生と同じだった。しかし喜べない。DCの先生が右といえば右なのだ。何故かという裏付けがないとダメだ。普通の人は外れたと思うだけかもしれないが、自分は違った。
「何でかわかる?」
簡単に言うと、立位で右耳が高いということは、首は普通に考えると左に傾いているということになる。つまり、右凸の首なので右に首の骨が出っ張っていることになり、治療は右から矯正することになるよね。左耳が高ければ反対に左からやる。右耳が高いと見えた人は右からやるから治療はあっているけど、左が高いと見えた人は左から矯正するので余計に右耳が高くなり、患者様はめちゃめちゃ具合悪くなる。
何が言いたいかというとこれね、「検査法が間違っている」と考えたんだ。だって6人で見て半々でわかれるっておかしくない?先生が右と言ったら右なんて宗教だよね。
で、自分がどう考えたか。骨はレントゲンで見れるので、レントゲンフィルムを水平にセットして、患者様にまっすぐ立ってもらい、耳でなく乳様突起を通る水平線を引き、どっちが高いかをみれば全員が高い方をあてられるはずだと考えたんだ。

二つ目の疑問は、ある患者様の骨盤の側面のレントゲン写真をみんなに見せて、「この写真で見落としちゃいけないものがある」と言われた。
7人はどこか変形してるんじゃないかと一生懸命にさがした。あるやつはここの椎間板がとか、ここが曲がってるとかみんな本気だった。
先生が答えを言った。レントゲンは腰椎の横の写真だったが、腰椎の前に白い線が縦にあった。「この線は腹大動脈の骨化症と言って、血管にカルシウムがたまっている状態で、血管がガラス棒のようになっている。こういう患者さんを横に寝かせて腰部をボキボキとやって血管が破裂して九州で事故が起きて患者さんが死亡した。いい加減にやらないように」と言われて、みんな驚いて気をつけないとという空気になった。
自分はすぐに「質問してもよろしいでしょうか」と「先生は何故この患者さんだけレントゲンとったのですか?」すぐに答えが返ってきた。
「ん?、入ってきたときになんか変だなと思ったんだ」
おいおい?? 周りをみるとみんな黙っていたが、自分は内心『先生は色々体験してるからそーやってわかるかもしれないがこれから開業する俺たちはそんなのわかんないよ。つまりこれもレントゲン撮らなきゃわかんないじゃん
答えは出た。そうだ、骨を見たいならレントゲンだ。DCの先生だからと思ってついたが、感想を率直に言うと、知識は凄かったが技術は違うということ。つまり、車の免許は90点以上合格だが、100点取ったらレーサーになれるかというと違うよね。じゃあ90点なら事故ばかりか。これも違う。知識と実技は別なんだよね。DCの先生だから全員ができるわけではない。

当時19歳だ。改めて自分が進む道が明確に見えてきた時だった。俺はやるぜ!!
そう思ってその勉強会を言い出しっぺなのに辞めた。
クラスでも「あいつこの頃来ないな」という雰囲気だったが仕方ない。

勉強と研究の日々。

当時、頭痛・腰痛などの症状があり、医療機関で受診するが、電気、マッサージ、投薬といった対症療法にも疑問をもっていた
適当にいろんな治療院に行って、とにかくレントゲンを取り入れたカイロプラクティックの治療院を探した。ちなみに専門学校は夜間なので、昼間は働いて夜学校に通っていた。だから色々な治療院に通えたのだ。この頃柔道で右膝を負傷し、手術となった。
そして在学中に、レントゲンを見ながらやっているカイロプラクティックの治療院と出会い、その先生に今までの疑問を話す時間をいただき、聞いていただいた。熱心だということで少し気に入っていただき、お手伝いすることになった。まだ専門学校在学中だった。
専門学校卒業後すぐに池袋のカイロプラクティックの学校に更に入学。ここでカイロプラクティックの多くのテクニックを学んだ。

自分はこの学校の通学の電車の中で凄いことに気がつくのだ。
その当時常にノートとペンを持っていた。何故なら電車に乗っている人の姿勢を常に観察していたのだ。松葉杖をついている人、腰が曲がっている人の歩き方、休めの格好、跛行などを見ては気づいたことをノートに書いていた。するととんでも無い事に気づく。治療院の先生にそれを伝えるとバッチリ当たっていた。
22歳で柔道整復師免許取得後カイロプラクティックの学校に通う。この学校に通学しながら西洋医学の現場も知るために整形外科でも働く。
一年制なので卒業後23歳で開業しろと言われ、すぐに物件を探し始める。この頃治療哲学は更に明確になってきた。

「骨のズレを治して神経の流れをよくすれば健康になるはすだ」と考えていた。

23歳での開業と方針。

23歳で柔整の免許取得しているが保険、電気療法、マッサージをやらない鈴木治療院を開業
これは「自分の治療哲学があっているなら治るはず」というこだわりや、これからは整骨院がどんどん増えるので、自分が40代になったら、技術の時代になると思っていたためだ。つまり、患者さんの痛みが、骨のズレを治して治ったのか電気で治ったのか、マッサージで治ったのかをはっきりさせたいと考えていたからだ。骨のズレを治して治ったなら自分の治療哲学はあっていることになる。
レントゲンは近くの全く面識のない整形外科の先生だったのだがお願いした。整形の先生に「患者さんに立位でこのようにレントゲンを撮っていただけませんか、保険は使わずに買取でお願いします」と言うと「全部で8000円かかるよ」とおっしゃられた。「はい」と答えると「この8000円は誰が払うの?」と言われ「患者さんです」というと「そんなの払うの?」「いえ、私が患者さんに説明しますので先生にはご迷惑おかけしませんので」と言い、了承していただいた。平成元年のことである。
初検料は2000円の治療費は3000円で始めた。しかし、2回目来院されるときにレントゲンを撮って来るので、2回来院されると、初回が合計5000円でレントゲン代が8000円でうちの治療費が3000円なので計16000円かかる。しかもやっている私は23歳。

流れとしてはこうである。治療院に新患が来られて、レントゲンの必要性を話し当院からの用紙を整形外科に持って行きそれを受付で出すと、うちからの依頼とわかるようになっていた。整形外科の受付で患者さんは住所などを記入してレントゲンを撮る。その後診察だけしていただき、レントゲンを受け取り、再度私の治療院に来院するというようになっていた。
つまり、診察の時点で病理学的に異常があれば、即先生に対応していただくようにしていたのです。

だんだん患者さんも増え、整形外科の先生から忘年会にも誘われるようになり、「一体どんなやりかたしてるの?」と聞かれるようになった。当時茨城県や千葉県などかなり遠くから来られる患者さんが住所を書くので、整形でも驚いていた。かなりの交通費もかかるわけだからね。
そして治療はレントゲンを見ながら行い、半年ほど治療したらレントゲンを撮りなおすというようにやってきた。そうすることにより、この部分がとれていない、ここを治療してきたらここまで変化した、ここを治療したら触っていないここも動き出した、など色々気づくことが多く、勉強にもなった。また、筋肉ではつながっていないのにここを治療したらこの部分が変化したということは関係しているということや、ここでバランスをとっているんだな、など発見も多くあった。
通常勉強というと本を読んで覚えるものだが、こちらは触ってきて実際にレントゲンでどう変化したかを見てるわけだから学び方がまるで違う。もちろん、自信も違う。
また、自分のレントゲンも撮り、痛いところがあればズレているところを探し出し、自分で体感して技術を磨くのである。

私の治療院には、全身骨格模型とレントゲン写真を見るためのシャウカステン、カイロプラクティックの専用ベッドのトムソンベッドだけである。つまり、開業にもお金があまりかからない。治療はズレている骨に手を当て、トムソンベッドがドロップするのを利用し治していく。
ただ欠点がある。人に教えられないのである。人によって手の形が違うので教えるのは難しすぎる。どこを治療するとこうだという結論が出ても手で治療するので他の人と感覚が違い、なかなか伝わらないのである。

さらなる疑問と閉院。

なかなか順調に波に乗ったが、ある時こんな患者さんが来られた。

「人に聞いてとても評判がいいので」とギックリ腰の女性が来院された。その方は受付で保険証を出されたので、「すいません、うちは保険取り扱ってないんですよ」というと、なんと保険証を取り「お恥ずかしいですが」といい帰ってしまった。本当は「いや、治りが違いますよ」と言いたかった。悔しかった。自分に問いかけた。
『ちゃんと治すなら高くてもいいんじゃなかったのか?』
『自分は保険使えるのに、治すばかりで、低所得者のことを考えなくていいのか?』

色々考え、自問自答した。結果その治療院を4年で閉院することにした。

そして、駅から徒歩15分の10坪の店舗だが、電車で来られる患者さんも多かったので、今度は駅徒歩3分の20坪の店舗でやることにした。中をパーテーションで区切り、片方は保険の使える普通の整骨院で、もう片方は今までの自費治療にした。
初めて来られる患者さんに、歯医者のように問診表で保険内か保険外でもいいかアンケートに答えてもらうことにした。ただし今度の店舗は2階であり、この建物はオートロックなのだ。患者さんは1階の自動ドアで201呼ボタンを押すと、私の整骨院の受付の電話のチャイムが鳴り、受付で受話器を取り、開くのボタンを押すと1階の自動ドアがやっと開くのだ。

遠方からも来院される技術。

自分の中では、「ここで売り上げが作れたら本当に腕がついたことになる」とチャレンジ精神で始めたのだ。今までの患者さんも来てくれて、すぐに波に乗った。予約制でカイロプラクティック治療をやって、整骨院の電気療法とマッサージをやると保険分を頂いた。スタッフは1人雇った。
この頃はなかなか名前も売れてきた。かなり遠くから人に聞いて来院された患者さんに「院長先生はいますか?」と私に聞いてきた。「私です」と答えると、女性は声を上げて驚いていたのを覚えている。きっともっと年をとった先生だと思ってきたようだ。当時27歳だ。

この時、舞浜から来ていた患者さんが仕事で北海道に引っ越した。驚いたことに北海道から半年に1度、品川プリンスホテルに宿泊し、3泊してたて続けに治療してから帰るという方までいた。この方はホノルルマラソンなどマラソンをやる方で、体に気をつかっていた。だから違う先生にやられたくないと、わざわざ来院してくれた。
この頃からあまりレントゲンを撮らなくなった。他にも検査法を作ったからだ。でもやはり4年ぐらいで飽きてきた。もっと安くしてもいいかなという気持ちが出てきたのだ。そこで、隣の駅だがやはり徒歩15分くらいの店舗でやろうと移転をした。

料金設定と分院化

今度はカイロプラクティックの治療を5分で2000円にしてみた。なぜならその店舗の周りは4軒の整骨院に囲まれていて、新店舗の一番近くの整骨院に患者として行ってみた。すると電気、マッサージ、針をやってわずか300円くらい。だったら時間を短くして値段を下げようと思った。でもあまり、説明もしなくていいかなと思った。
で、移転したら直ぐに波に乗り、あまりにも混んで待たせて怒って帰る人まで出てきたのだ。で、スタッフを急遽増やした。まあ、ベッドも7台あったのでスタッフも4人ぐらいにした。

この時に結婚もしていて、スキーに行った時のことです。調子に乗って上級者コースを滑っていたら、途中アイスバーンになっていて、かなり下まで止まらずに落ちていきました。立ち上がる時に、「もし転んで指でも怪我したら、今の収入は無いな」と。これでは家族を守ることはできない。
それがきっかけで分院を作ろうと考えた。そして物件を探し、整骨院の開業となった。しかし、分院はごく普通の電気とマッサージでの開業となった。やはり手の治療なので、スタッフには伝えられないのだ。

ここまで色々書いてきましたが、技術の面では毎年テクニックを変えています。つまりはどんどん進化しているのです。常に患者様を観察し、疑問を見つけ出し考えて実行するという繰り返しです。それは毎年です。2年と同じテクニックということはないです。少しづつですが違うのです。

この時点で2件の整骨院を経営しています。スタッフも分院に回したため、本院はスタッフの数が減り患者さんも少し減りました。
そんな中、ある患者さんに姿勢を注意したところ、「2000円でしょ、また来るよ」と言われました。この言葉が気になり、やはり値段というのは大事なんだなと痛感しました。その後、やはりカイロプラクティックは安さを売りにするとこちらの説明を聞かなくなってしまうと思い、倍の4000円にしようと考えました。
しかし、同じ場所で明日からいきなり倍の値段にはできないと思い、ここまでやってきたが、また場所の移転を考えた。、 「全く新しい患者様を集めよう、今までの患者様だと値段が安いと思ってこられても困る」と思い、車で30分以上かかり、電車だと2回乗り換えるという場所に物件を見つけ出した。

4回目の移転である。今までも常に黒字だがまた本当にゼロからのスタートを選んだ。開業してみるとやはり立ち上がりは悪かった。というのもただ「あいてるからここでいいや」という安易な考えで始めたので、オープンして気がついたが、人通りが全くないのだ。駅には近いが脇道に入っているせいか、全く人通りが無い。とにかく来ていただいた患者様を治そうと必死だった。
ところが驚いたことに以前の患者様が倍のお金を払って来院するのだ。本当に自分でも驚いた。